企画展
近代歴史画と羽石光志

小山栄達 《謙信公》東京国立近代美術館
開催期間 | 前期:2002年10月26日[土]ー 2002年12月1日[日] 後期:2002年12月3日[火]ー 2003年1月13日[月・祝] |
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日本の絵画は、常に中国絵画の影響を受けながら発展してきた。その結果として、日本の絵画でありながら「唐絵(漢画)」と称され、長く画壇の中心的役割を果した狩野派の様式に組み込まれる。一方、平安時代以降、日本の題材を日本的な描法・色彩で表現する「やまと絵」の伝統も継承されていった。これら和漢の要素が交錯しながら、日本の絵画は様々な流派を形成して近代を迎える。近代以降、西洋絵画の急速な流入によって日本の画壇も一変し、それらから強い影響を受けて新たに成立した「洋画」というジャンルの一方で、多様な日本の絵画は「日本画」として括られた。そして、洋画高揚の勢いに圧倒され、日本画はしばし影を潜めることとなる。しかし、明治10年代後半から文明開化の反動から興った国粋主義的運動や、岡倉天心による新日本画運動が契機となって、伝統保守派の絵画が再興する。その拠点となったのが日本美術協会であり、その一派から日本青年絵画協会、さらには日本絵画協会が生まれた。各会所属の画家たちによって描かれた故事や歴史的事実・人物を題材とした作品群は、やがて「歴史画」と呼称され流行を見る。幕末土佐派の流れを汲む川辺御楯、川崎千虎、小堀鞆音、安田靫彦、住吉派系の守住貫魚、山名貫義、松岡映丘、日本美術院の菱田春草・横山大観・下村観山、また、歴史画には欠かせない『前賢故実』を編んだ菊池容斎の流れを汲む梶田半古、小林古径、前田青邨、今村紫紅など、後に近代日本画の重鎮となる画家たちが歴史画を描いた。
本展では、小堀鞆音とその門下である安田靫彦・磯田長秋・小山栄達らを中心とした紫紅会、紅児会、そして日本美術院へという流れを骨子とし、近代日本画において「歴史画」がどう描かれたかという視点から、時代と日本画の展開の一端を辿ると共に、本県出身の日本画家羽石光志の画業を顕彰する。
羽石光志は、明治三六年(1903)、本県芳賀郡茂木町に生まれる。小堀鞆音に師事し、川端玉章の川端画学校に学んだ。鞆音亡き後は、安田靫彦に師事した。昭和8年(1933)の第14回帝展で「正岡子規」が初入選、その後日本美術院で活躍し、第29、31、32、33、40回院展で日本美術院賞を受賞、昭和30年(1955)にようやく同人に推挙された。その後、日本美術院評議員、理事を歴任。新聞や雑誌の挿絵も多く手がけ、時代衣装考証のための研究会を組織し、活動の中心となった。法隆寺金堂の壁画模写や、日光東照宮の陽明門天井の「双龍図」の復元をするなど文化財保存においても功績を残している。
前期展示主要作品
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羽石光志 《忠度》 弘前市立博物館 |
前田青邨 《石棺》 東京国立近代美術館 |
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平山郁夫 《原始の眠》 佐久市立近代美術館 |
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尾竹国観 《油断》 東京国立近代美術館 |
後期展示主要作品
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菱田春草 《老子》 長野県信濃美術館 |
下村観山 《闍維》 横浜美術館 |
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羽石光志 《ひよどりごえ》 栃木県立美術館 |
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下村観山 《小倉山》 横浜美術館 |