企画展 [知られざる濱田庄司]

こびない、さびない、濱田イズム
知られざる濱田庄司
-大阪市立東洋陶磁美術館所蔵 堀尾幹雄コレクション-

企画展 [知られざる濱田庄司]

《掛分指描 壺》 1950年頃

開催期間 2010年4月25日(日)― 2010年6月27日(日)

2010年は、人間国宝(重要無形文化財保持者)である濱田庄司(1894~1978)が初めて益子を訪ねてから90年という節目の年にあたります。濱田は「京都で道を見つけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と自ら記しています。1920年に初めて益子を訪ね、各地で研鑽を積んだ後、1930年から益子に居を定め、実用性を重視した健やかで堅実な作風の作品を数多く残しました。
本展では、戦前から濱田と親交のあった故堀尾幹雄氏のコレクション(大阪市立東洋陶磁美術館に寄贈)より、濱田の秀作約150点が里帰りします。関東初公開となる名品の数々に、文章の名手でもあった濱田自身の言葉を添えることで、濱田独自の陶芸世界をより深くご覧いただきます。
あわせて、益子参考館が所蔵する、濱田が世界各地を旅して集めた家具や工芸品も展示します。没後30年を経てなお色あせない濱田作品の魅力を紹介します。

※会期中、一部展示替えを行います。

 

 

 

作品点数  約150点 (展示替え有り)

 

主な出品作品

濱田庄司 《刷毛目 茶碗》 1935(昭和10)年頃
濱田庄司 《柿釉丸文 壺》 1940(昭和15)年頃
濱田庄司 《掛分指描 大鉢》 1943(昭和18)年     
濱田庄司 《赤絵 角瓶》 1956(昭和31)年頃
濱田庄司 《藍塩釉櫛目 鉢》 1969(昭和44)年
バーナード・リーチ 《ガレナ釉鳥の巣文 大皿》 1952(昭和27)年
河井寛次郎 《三色打釉 茶碗》 1960(昭和35)年
棟方志功 《鯉図》 1945(昭和20)年 など

 

章構成

1、古今東西 わざの融合と創造
濱田は世界各地を旅し、様々な経験や知識を蓄えていました。それらを完全に吸収しきった上で、益子の素材をベースとして独自の表現技法を確立しています。

2、新たな抹茶碗を求めて
茶の世界で評価の高い「高麗茶碗」はもとは日用の雑器で、はじめから茶道具として作られたものではありませんでした。「焼物はこしらえるものより、生まれた物になりたい」、そう願った濱田は、自然な形を求めつつも、刷毛目や象嵌、茶器には珍しい塩釉など、様々な技法を用いた抹茶碗を生み出しています。

3、濱田イズム―日用品を通した自己の表現
濱田は15歳の時、「(フランスの多くの美術家志望の)半分でも三分の一でも工芸の道に入ってくれば、工芸の質も大きく向上するだろう」というルノワールの言葉を知り、「生活に役に立つ工芸」の道に進もうと決意しました。柳宗悦や河井寛次郎と出会い、「民藝」という語が生まれる以前のことです。濱田の生み出した食器や道具類には、生活道具に対する深い理解と愛情があふれています。

4、濱田と交友のあった作家たち
濱田との親交をきっかけに、堀尾幹雄氏は河井寛次郎や芹澤銈介、棟方志功、黒田辰秋らとも交友を結びました。使うための食器を蒐集するという、民藝運動の良き理解者であった堀尾氏の人柄が、濱田をはじめ、多くの作家から慕われたのです。

 

特別展示 濱田庄司の蒐集品と益子参考館

 濱田はその「目」と「手」によって独自の陶芸世界を築き上げた陶芸家でした。「目」とは濱田の蒐集品であり、「手」は自作品をいいます。このコーナーでは、濱田が長年愛用していた家具や、堀尾氏から贈られた作品を含む工芸品をご紹介します。

主 催: 栃木県立美術館、下野新聞社 
特別協力: 大阪市立東洋陶磁美術館
出品協力: 財団法人益子参考館
協 賛:  東武宇都宮百貨店
助 成: 芸術文化振興基金
後 援: 朝日新聞宇都宮総局、NHK宇都宮放送局エフエム栃木とちぎテレビ栃木放送、日本経済新聞社宇都宮支局、毎日新聞社宇都宮支局、読売新聞宇都宮支局
《掛分指描 土瓶》 1949年 《焼締丸文 蓋物》 1949年頃
《掛分指描 大鉢》 1943年 《青釉白黒流描 大鉢》 1951年頃
《赤絵 角瓶》 1956年 《柿釉抜絵 角皿》 1950年
《地釉 茶碗》 1949年頃 《三彩 茶碗》 1968年