ナポリよりポッツォリを望む 1925年

川島理一郎展

2002年1月13日(日)〜2002年3月24日(日)
 
1886(明治19)年、足利に生まれた川島理一郎は、1905年、若くしてアメリカに渡り、ニューヨークやワシントンで美術を学びました。1911年にはフランスに渡り、アカデミー・ジュリアン等でさらなる研鑚を積んでいます。パリでは藤田嗣治と行動をともにし、芸術の源を求めて古代ギリシア人の生活を身をもって再現。第一次世界大戦の勃発に際してもフランスに残り、藤田や彫刻家ザッキンとともに赤十字に志願して働きました。
 14年ぶりに故国の地を踏んだのが1919(大正8)年。帰国2ヶ月後には、新設された資生堂陳列場(現資生堂ギャラリー)において個展を開催しています。1920年からはふたたびパリに暮らし、制作に励むとともに、最新のファッション情報を伝えるなど、文化の媒介者としての役割もはたしました。
 1925年、国画創作協会第二部の創設に際しては、梅原龍三郎と共に同人として参加、1928(昭和3)年の同協会解散後は、新たに国画会を組織しました。この頃から自らのアトリエにおいて「金曜会」を開催、若い画家たちに大きな影響を与えています。
 1930年代から40年代にかけては中国各地、タイ、フィリピンなどを旅し、各地の風景や人々を描いています。戦後は女子美術専門学校(現女子美術大学)教授として後進の指導にあたるとともに、日展、新世紀展を中心に発表。1948年には芸術院会員となっています。晩年は単純化された形態と明るい色彩、強力なマチエールによる作品を制作。1971年、85年の生涯を終えました。
 おおらかな筆づかいで、のびのびと創造力を解き放つかのようなその作品群は、没後30年を経た今日、あらためて私たちの眼差しを求めています。この展覧会では川島理一郎の作品、油彩、水彩、素描、約130点により、その画業の全貌を紹介いたします。

巴里の宿
1924年

カーニバル
1925年頃

広東大観
1939年

蘭花図
1953年

舞妓
1954年

雨と風の詩
1966年